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南海・ラインカラーのルーツを探る

 ということで、ここでは私が一番馴染みのある鉄道会社、南海電鉄について、そのラインカラーのルーツを探ってみよう、という企画です。現在、南海本線は■青高野線(りんかんサンライン)は■のラインカラーとなっています。この色はいつ頃どのようにして出来上がった色なのか。手持ちの資料のうち、ラインカラーや色にまつわるものをピックアップし、年表形式にしてみました。
年代 できごと・コメント
昭和11年
(1936年)
「南海沿線名所案内図」から。南海電車は赤色、国鉄(省線)は黒で記載。自社線を目立たせるようで記載したもの。この頃にラインカラーがあればかなりすごいと思う。ていうかさかのぼりすぎ。
昭和50年
(1975年)
「南海電鉄創立90周年記念乗車券」から。きっぷに沿線案内図が描かれていますが、本線・高野線とも赤色の表示。地図自体観光色が強く、路線を目立たせるための描き方のようで、あまり参考になりませんでした。
昭和55年11月
(1980年)
難波駅高架化完成。この頃、駅の案内表示にそれぞれの路線のシンボルマークが使われはじめる。南海本線は青色で波を、高野線は緑色で杉木立をあしらったもの。この2つの色が使われだしたのはこの頃が最初かと思われる。シンボルマークは現在も使用。
昭和56年頃
(1981年頃)
駅配布のポケット時刻表から。で印刷されたものがほとんどになっている。しかしながら南海本線の時刻表を緑で印刷したものや、高野線の時刻表を青で印刷したものなど、統一はされていない。
昭和56年11月
(1981年)
高野線に林間田園都市駅開業。駅名標は青帯が入ったもの。この駅だけでなく、この時期に更新された駅名標は本線・高野線を問わず青帯が入れられていた。従来からの駅名標の第一次統一期。
昭和60年
(1985年)
広報紙「南海だより」4月号から。難波駅と思しき駅の運賃表の写真が掲載されているが、本線は、高野線は、の現行に近いスタイルのものが使用されている(ただし写真自体は白黒なので、両線の色合いが違うことしか確認できず)らしいことを発見。
昭和63年
(1988年)
初めての冊子式となる「南海時刻表」発売。路線図は両線とも青色
昭和63年7月
(1988年)
テストケースとして、関西空港開港時に玄関口となる泉佐野駅で「サインマニュアル(仮)」に従って統一サインの設置を開始。旅客案内等が一定根拠にのっとって駅単位で統一される初めてのケースとなる。ラインカラーをとして各サイン類を整備。
昭和63年11月
(1988年)
南海本線に新特急「サザン」運転開始。車両の塗色は当時の一般的なカラーリングだった。当時南海といえば「緑の電車」というほど、まだまだ会社のイメージは「緑」が強かった。
平成元年5月
(1989年)
「南海電鉄旅客案内サインマニュアル」正式制定。主な案内表示として駅名表示・運賃表・時刻表・施設表示(エスカレータ・路線シンボルマーク・駅長室ほか)を挙げている。広報紙上明記はないが、ここでラインカラーも本線は、高野線は、と正式に決定されたようである。手始めに千代田・難波・貝塚等で実施開始。
平成4年4月9日
(1992年)
灰色地に青帯とオレンジ帯のニューカラーデザイン電車を運転開始。以後全車両の塗色を変更。
平成6年6月15日
(1994年)
空港線開業。ラインカラーをとし、案内表示で使用開始。同時に本線・高野線の行先表示盤を反転板式に変更。変更された新型にはそれぞれのラインカラーが施される。

 ・・・ということで、この会社、正式にラインカラーを制定するまで、前段階としてシンボルマークを使用していた、という事情から、事実上使われていた色をラインカラーとして追認したという、ちょっと変わったラインカラーのルーツを持っています。すでに使われていて、ある程度統一されているものを新たに取り替えるのはお金がかかる、といった経済的な問題もあったんでしょうけれどもね。

 こうやって見ますと、この会社で「ラインカラー」と言えるものを使いだしたのは、やはり昭和55年ころのシンボルマークの使用がその起源と言えるのではないでしょうか。

 当初シンボルマークとして使われだした色ですので、沿線の風物・特徴を加味したものになっています。そのあたり、路線がたくさんあるから区分するという意味で使われだしたラインカラー(例えば地下鉄などがそうですね。)とは性質を異にしています。

 もともとこの会社、青と緑には縁のある会社のようでして、電車の塗色は古くから緑色、社名から受けるイメージは青色なんですね。一時期路線を問わず駅名標を青にしたりということもあったようですが、そのあたりの混迷の時期を経て今に至っているというのも、興味深いものがあります。

 この2色、使われだしてからおよそ20年が経過するためか、かなり定着しています。結構違和感なく受け容れられているように思えます。普段何気なく見ている色にも、これだけの歴史があるんですね。

 ということで、南海電鉄のラインカラーを「歴史」という側面からちょっと遊んでみました。


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