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 ・・・当時、「正しい電車少年」だった私は、割と同じスタイルの電車ばかりだった南海本線に、「正面に数字の書いてある(車番がついている)電車が走っている」という友達の話を聞きいて珍しく思い、新今宮駅まで電車の写真を撮りに出かけました。この「数字の書いてある電車」とは、当時非冷房で走っていた7000系という電車でして、これが冷房改造された際、正面に車番が付いたスタイルに変更されたものでした。

 はい、ということで、これが7000系、冷房改造された第一編成です。この撮影の目的はこれだったようです。学校が終わってから行ったのか、光線的には昼下がりですね(詳しいことは覚えてないのですが)。

 編成は7003-7901-7015-7904となっています。少し前までこれらの画像がいつ頃写したのか分からなかったのですが、資料によるとこの4両の冷房化竣工時期が昭和58年の10月と11月。当時これ以外にこの形式の冷房車は走っていませんでしたので、後日資料から撮影時期が割り出されたものです。

 7000系の非冷房車の画像です。この系列では当時主流だったスタイルで、天井は押し込み式のファンデリアという通風器がついていました。行き先表示は電気式ではなく、昔からの掛け替え式の円板でした。

 当時急行電車のほとんどが冷房化され、普通電車にも一部冷房車が入りかけていた時期で、電車に乗って難波に行くときにこの電車がやってきて、加えて難波まで先着だったりすると、「あー、はずれや・・・」などとよく思ったものです。

 上の画像と同じ7000系という車両ですが、一部には少数ながら行き先表示を電動式にしたものが存在しました。写真の電車は高石行きの普通車です。現在はほとんどなくなってしまいましたが、当時はデータイム時間帯は1時間に2本が走っていました。

 当時南海本線で一番当たり前だった電車、7100系です。総勢150両を越す大所帯で優等列車を中心に運用され、急行などでは乗り合わせる機会が多かった車です。

 時は流れて電車の色が変わり、まさかワンマン仕様に改造される車両が出るなんて、このときはやはり想像も付かなかったのでした。

 本線の、当時花形だった特急「四国号」です。この当時、「ラピート」はもちろんのこと、「サザン」すらなかったんですねえ・・・。位置づけ的には「サザン」の前身に当たる車両で、やはり和歌山方2両は座席指定車でした。車内は転換クロスシートだったような気がします。

 現在は全車が廃車され、保存された車両もありませんので、見ることは出来ません。ちなみに現在南海で1000系といいますと、こちらの車両になります。

 だんだんごく当たり前な電車になってきましたが、こちらは高野線用の6100系です。7100系のステンレス版というところでしょうか。

 私は、どうやら「縦構図で、電車の正面を大写しに撮る」のが好きなこどもだったようです。

 これはよいホームですね。ということではなく、高野線用の6000系です。6100系と同じく、こちらは7000系のステンレス版という位置づけになるようです。当時はまだ非冷房車しかありませんでした。現在は全車冷房が付いています。

 ちなみに私が当時使っていたカメラは、「フジカズーム」という、横長のポケットカメラでした。被写体を覗くレンズと撮影用のレンズは別になっていて、加えて双方は割と離れていたため、近くで撮るとこの画像のように微妙にずれてしまった写真が出来上がりました。ということで、子供の頃撮った写真は、妙に上や下が空いた写真が多かったりするのです。

 写真は、泉北高速直通の準急です。この路線も、当時は光明池までしか開通していませんでした。

 同じ緑の電車ながら、若干違う塗り分けのこの電車は山岳部直通の電車です。22000系という桁の大きな形式が付いていました。下に出てくる21000系という電車の増結用に使われることが多かったようです。

 ちなみにこの電車は現在改造されて、支線用として走っています。昔は幹線の主役だったハイパワー電車も、今は枝線で最高時速45kmでのたのたと走っています。

 また、一部の車両は熊本電鉄に譲渡されました。

 ちょっと斜めになってしまっていますが、こちらは同じ山岳線直通用の21000系です。本線の四国号の車両と極めてよく似ていますが、こちらは急曲線の山間部を行くため、寸法が若干短い17mになっています。急行の基本編成として、高野山方に連結されていました。

 現在では全車廃車となっていますが、一部の車両は幸運なことに引き取り手が見つかり、現在は大井川鐵道や一畑電鉄で第二の人生?を送っています。

 正面に青いラインが入った電車は相互乗り入れ先の泉北高速鉄道の電車です。画像の車両は南海の6100系をベースにして作られた100系といいます。緑が多い南海電車の中で、その青いラインは非常に目立つ存在でした。当時はこの車両も非冷房。その後側面に入れられることになる青い帯もまだ入っていませんでした。

 この車両は現在廃車になっています。一部は保存されているようです。

 同じ泉北高速の車両で、冷房が付いた電車は3000系。こちらも南海電車をベースにして作られています。画像は区間急行となっていますが、当時は泉北車の高野線内のみの運用というのも存在していました。

 当時高野線系統では一番新しい車両だった8200系です。まだデビューして間もない頃だと思います。正面に額縁のような飾りが入って、こちらもまたちょっと目立つ存在でした。

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